老い先短いじいさんと成長の可能性がある若者のどちらが時間の価値があるか座談会
そんな座談会ないので内容なし。
症状:言葉中毒
活字中毒というものがあるのらしい
ツイッターでさっき知った言葉なのだが、御多分に洩れずわたくしもそうである
いろいろなジャンルの本を読み、ツイッターに入り浸って、ペットボトルの裏の全然おもしろくない成分表示を読んで、今ごろはやりもしないはてなブログにつらつらとデジタルタトゥーという駄文を生み出している
何が楽しくて読んでるか書いているかは自分でもわからない
ただそこに文字があるだけで読んでしまうし思案してしまうし何かあれば書いてしまう 今だってそう
私の場合だと書かずとも読まずとも頭の中でぐるぐると価値のないものに対してでも考えてしまうのでおそらく言葉中毒
ただこれ誰かに自慢できることではないのは確か
タバコや酒のそれとまったく変わらない
好きとかそういうレベルの話じゃなくて、自分が生きていく中で中心としていた言葉というものに中毒という概念がくっついてしまっただけで、なんかもう意識しちゃって、息が苦しいわ胸が苦しいわ眠れないわ
まあ自分の激しい癖に名前がつくと実態がつかめたような 病気とおんなじよね
しかしまあなんだかね、ツラいわね
ラザニアってなんですか
ラザニアってめちゃくちゃ言いたい
ラザニア ラザニア
何かはまったく知らないラザニア
ラーザニア ザニアーラ
何これ料理なの ラビオリ的なやつなの
おや ラビオリってなんや
ラビオリの方もわからんぞう
でもラビオリもめっちゃ言いたいな
ラビオリ ラビオリ
口が楽しい ラビオリラザニア
あんたおるのおらんの
神様さんよ、あんたおるのおらんの
人がせっせと正月早々めかしこんでくれてね、いろんな人が仰山来てくれてね、めいめいお願い事言っていてね。それでお願い事を聞くか聞かんかは五分五分ですってあんた。
確かに俺の信心が足りていないのもあるんやけどさ、やる気がないならないって言ってよ。信心が足りないなら足りないって言ってよね。
俺はアホ面で彼女できますようにだの言ってるわけやけど、無病息災祈ってるそこのおばちゃんはせめて叶えさせろよ。
神様やからって偉ぶるな。手入れしてやらんぞ。
建築に議論の余地?
ツイッターで面白い論議を見つけたので所感をちょちょっと備忘録がてら書き記そうかね。読みやすく書くつもりはないからね。
ある方のツイートで、「建築コンペに応募、最終予選にまで一位で行けたが議論になるか?というお偉いさんの鶴の一声で落選。建築の美しさを競うんじゃないの?」というものが目にとまった。まこれに美しさがどうのこうのと論議が交わされていたわけ。俺は経済学部生だし専門的なこと、コンペの仕組みがあまりわからないけども。かなりその人々の思想が出てるような気がしている。
美しさ、建築の美しさ。面と面がびしっと重なり、線と線が伸びてすれ違う。このようなものに私も大きな美しさを感じずにはいられない。まるで山の中にいるような、自然から感じる大地の美しさのようなそれを。
いまは経済学部生でたいして好きでもない曲線のグラフなどを薄目で見ているが、小学生中学生の頃は建築家になりたかった。いな今でもなれるならなりたい。ただ高校のときに私は諦めた。自分の感性を、これがいいという衝動の一端を、自分のことを知らない人間に否定されるのがたまらなく嫌だったのだ。嫌というか莫大な恐怖。からして建築家の道を諦めた。いまもしこの記事を見ている建築学部生の方、おられましたら自分の感性を大事になさってください。